短説集
壺
中野 靖邇
出雲の能美島に漁師で働き者の嘉輔と言う若者が母親と二人で暮らしていました。
いつも朝早くから島の近くの漁場に海老や鮑を取りに行き昼からは、母親と二人畑で、野菜作りをし、近くの市に出して生活の糧にしていました。
そんな嘉輔も年頃になり母親も息子の行く末を心配しておりましたが、本人はそんなことを、おくびにも出さず、毎日慌ただしく働いた。
ある日、嘉輔が寝ていると夢枕に父親が出てきて言うことには、「わしが、まだ若い時に、将来のことを考えて巽の方角にある柿の根元に壺を埋めてあるので掘って欲しい」とのことだった。
「変な夢だな・・」と思いながら朝方欝々しながら、眼が覚め夕べみた夢を母親に話したところ、 母親が頷きながら、実は・・、「わしも若い時のことだが少し気になることがあったは・・」小声で呟いた。
母が言うには、父親が、醜男だったが、なぜか好きになってしまい、いつのまにか結ばれ嘉輔が誕生したとのことだった。
なんのことか理解できぬまま、早速、日の出を待って、鍬と鋤を持ち裏の畑に向かいました。
父親が埋めたであろう頃は小さな柿の木も、今は二十数年経って大木になり、何処をどう掘ったらよいか迷っていると、木の下に臼に使っていた様な円い石が不自然に置かれているのが草の間に垣間見えた。
それを取り除き、その下を一尺ほど掘ってみると確かに、夕べ見た夢のとおり壺が出てきました。
早速家に持って行き、母親と共に開けてみると、中から小瓶と書き付け、小判十枚そして一分銀二十二枚出てきました。
書き付けを読んでみると、小瓶の中身は媚薬で、「猪口に一杯飲んで、一時のちに島を歩けば女子が寄ってくるが、効き目は二時しか持たぬので心せよ」と書いてあった。
母親はそれを見ながら、「これやったのか・・・やられた」と呟やいたが後の祭りであった。
その後、嘉輔は父親の残してくれた媚薬で島一番の嫁をもらい、小判で船を手にいれ人を雇い交易を行い財をなしました。
そして嘉輔もまた、父親がしたように壺に媚薬と書き付け、そして大判百枚をいれてもとの場所に埋めました。
蝉丸の責任
中野 靖邇
私の家に雄猫の蝉丸が居候してもう少しで三年になる。
いつもリビングで日がな一日のらりくらりと過ごしており、
私も一日中家にいるものと思っておりましたが、なにせ朝、
食事の用意をして出かけ夕方六時すぎに帰るまでの、
蝉丸の行動はとんと把握できていなかった。
ある日、仕事が早く終わり、自転車で坂道の途中にある我が家に急いでいる時、
三軒手前の早川家の軒先に、蝉丸の姿が見えて、
その横に早川家の雌猫のグリーンが並んで座わっているのが見えた。
私はとっさに隠れて電柱の影より見ていると、
グリーンが蝉丸にしきりによりそっているのが眼にとまった、
「 なにするねん!」このすけべ雌猫め・・。
そう心で思いながら見ていると、さすがに私の躾が良いのか蝉丸は、
始めのうち無視していて、私もひと安心と思った次の瞬間、
人目もはばからず、「チュー・・」やってくれましたがな、
「あほ・・」思わず言葉が出てしもうた。
知らんで、もし早川家の奥さんにばれて、子供でもできたら賠償問題や、
そう思いながら、我が家に着くと、一足遅れで蝉丸が帰って来た。
私が知らんとでも思っているのか、何事も無かったようにリビングで寝そべり、
先ほどのデート疲れか、ソファーに顎を伏せながら、
こちらを向いて様子をうかがっていた。
あれは早春の穏やかな日やった、窓を開けたまま私が休日の睡眠をむさぼっている時、
裏庭の花壇の奥のパーゴラに二匹の姿があった。
場所をかえてのデートかいな、と思いながら、
これは完全に出来とると思ったが、あとのことは、成り行きにまかさんとしょうない。
片道切符
中野 靖邇
都民の皆様へ
黄泉の国への片道ツアー切符の売り出しに付いて。
今月は早期購入キャンペーン中の最後の売り出し月で御座います。
購入資格・年齢
都民・男女・八十歳以上
特典
サービス期間中購入者は安楽死と盛大な葬式、そして黄泉の国への添乗員の同行つきで御座います。
注意
インターネット上での当課の切符の販売は行っておりません、従いましてオークション売買により購入された切符は無効とさせて頂きます。
切符は片道切符の為、黄泉の国からの帰還は御座いません。
またツアー出発時、定員関係上、出来るだけ軽装でお願いします。
動産・不動産の処分及び現世における通貨は黄泉の国では通用しませんので、もし処分に困られる場合は、当課にお申し付け頂ければ、処分させていただきます。
但しその時は、一筆御署名と捺印を、当課所定の用紙にてお願いします。
尚、詳細に付いては当課まで。
都 人口抑制課
余談
この制度は、都の極秘事項として、今まで都職員だけの優待でしたが、情報公開制度により、皆様に紹介できるようになりました。
都民の皆様大いに利用下さいませ。
先のキャンペーンでは、映画俳優の丹波哲郎様に御購入いただき、無事、黄泉の国に到着されたそうです。
疑惑
著 中野 靖邇
1
その日はアスファルトで舗装された道路の所々に陽炎があって、何時もより暑く戸外の人通りは絶えた。
室内では、窓際に佇み考え込む良子の姿があった。
彼女の夫は、半月前の夏の初めの今日のような暑い日、交通事故であっけなく人生の幕を閉じた。
だけど、その主因はいまだに特定できていなかった。
事故の日は丁度一年目の結婚記念日の日で、何時もより手によりをかけて夕食を作っていたその時電話が鳴った、警察からだ。
「守山 秀樹さんのお宅ですか」
「はいそうですが」
「奥さんですか」
「はい」
「実は先ほどご主人が交通事故に遭われ、K病院に収容されましたので、そちらに行ってもらえますか」
「それで、大丈夫なのでしょうか」
「はっ・・それが良くわかりませんのですよ」
「はい分かりました、直ぐ行きます、ありがとうございました」
テーブルの上の結婚記念日を祝う豪華な夕食は、突然の電話で手も付けずお預けになった。
早速、病院に駆けつけると、病室でなく霊安室に案内された。
「えっ、そんな」
それでなくても暗い気分なのに、照明が落ちていて陰鬱とした廊下は余計に心を沈ませた。
病院の地下の片隅にその部屋はあった、黒い二つの扉には左右対称に磨りガラスがはまっていて、それを通して外の明かりがかろうじて、寝台の上の白い布で包まれた遺体を照らしていた。
布をとり顔を見たが、包帯で覆われ元の顔からは想像もつかないくらい損傷していて、どうすればこの様な状態になるのか、事故の酷さを痛感これ以上見るに忍びなかった。
そんな中でも、少し疑問に思ったのは、着ている服が少し違ったことである。
それで直ぐに秀樹と確認しづらく納得はいかなかったが、事故現場に散らばっていた持ち物は秀樹の物に間違いなかった。
警察の催促に促され渋々、状況証拠から本人と認めざるを得なかったが、心にわだかまりが残った。
納得いかなかったけれど、秀樹は亡くなったのだと良子は自分に言い聞かせた。
急に悲しみが良子を襲ったが、不思議に涙が出ず落ち着いていた。
と言うより、これから先、いや今何をすれば良いのかも考えられず、その場でただ呆然としていた。
どれ程の時が過ぎただろう、「はっと」我に還った時、そこは病院でなく死体搬送車の助手席だった。
彼と共に自宅に戻ると、直ぐに幾つかの葬儀社から電話がはいったが、良子の父にまかせて手配をしてもらった。
秀樹の親や兄弟も少し秀樹と信じられず悲嘆にくれていたが、秀樹が帰宅しない以上彼だったのだと納得し、ばたばたと葬式を済ませ気が付けば、あの事故から既に一週間が過ぎていた。
駅から自宅へ歩いて帰宅途中に横断歩道で何者かにひき逃げされたのだけれども、未だ犯人は捕まっていなかった。
良子に両親は実家へ帰ってくるように説得したが、良子にとっては短かかったけれど思い出の残る住まいから離れたくはなかった。
良子は結婚と同時に退職し主婦をしていたので、一段落したらもう一度働かなければと思うが、なかなか踏ん切りがつかないでいた。
そして気が付けば、半年が過ぎていて、良子の心にも少し落ち着きが出てきていた、そんなある日の朝警察から電話が掛かった。
「お早うございます、下中警察の田辺と申しますが少しお聞きしたいことがあるのですが」
「畑山 武」と言う名前をご存知ですか。
「いえ、聞いたことありませんが」
「はあ、そうですか」
「実は、昨年のひき逃げ事件の容疑者なのですが」
「えっ、犯人が見つかったのですか」
「はい、そうなんですが、色々事情がありまして」
「奥さん、実はね、ご主人の交通事故は本当は殺人だったのですよ」
「えっ、どう言うことですか」
「詳しいことは署でお話しますので、奥さん一度こちらへご足労願えませんか」
「はい、分かりました、半時間程で行けると思います」
「分かりました、お待ちしております」
それから間もなく良子は支度して出掛けて行った。
久し振りの外出だった。
車で二十分程で下中署に着いて受付に行くと、二階の一室に案内された。
まもなく先ほど電話をしてくれた田辺さんが来られ話が始まった。
それによると、会社で経理をしていた夫の秀樹は、営業の畑山 武と言う社員が会社の製品の横流しをしていることを掴み、極秘のうちに調べている最中に、それを知った畑山が、秀樹さんを口封じに殺そうと狙って、交通事故に見せかけ殺したのだった。
「はっ、そうでしたか、ありがとうございます、これで主人も成仏できると思います」
良子は、悲しみが胸を過ぎり、それ以上は聞く気になれなかった。
それから間もなく、畑山のことが新聞の三面記事に載った。
記事によると、畑山は会社の製品のワイシャツの一部を納品せず不良品として伝票に上げて、処分したように見せかけて、そのシャツを小売店に直接売りつけていたのだった。
そうして浮かしたお金を、競馬とパチンコの遊興費にしていたのだった
それを知った秀樹が、畑山に伝票に付いて問い質したところ、説明が曖昧だったので、執拗な追求に業を煮やした畑山が、急に会社を退職してしまったが、過去の伝票を洗い出すと、出荷数と納品との差額の約五千万円あまりを横領していた。
それで彼を告訴しようとしているところだったが、社長にはまだ伝えていなかった。
この事実を知った秀樹を抹殺しようと機会を狙っての事故だった。
なぜ畑山が捕まったのかと言えば、この事件とは関係なく、パチンコ店でのカード不正使用だった。
都内で不良外人より買ったカードを使い、それが機械の警告ラインに引っかかり、店から警察に通報され逮捕となった。
そして、追求しているうちに他の犯行も白状したのだった。
翌日、良子の家に、秀樹が勤めていた会社の社長が来られ、土下座して誤られ、部下の不祥事の犠牲になったことを知り、公務災害に認定すべく尽力していくとのことだった。
良子の両親には、この事実を話したが秀樹の両親には話せなかった。
そして、畑山の供述に基づき、山の中から証拠隠滅の為に放置され殺人に使用された車両が発見された。
車両の前部のバンパーからボンネットにかけて大きく凹み、フロントガラスは助手席側が丸く放射状に破損していて、頭部があったと思われた。
ナンバープレートが外され、刑事さんの説明では、車体番号までも削られていたそうだ。
また畑山の供述を刑事さんから聞かせていただいたが、それによると使い込みがばれそうになってからは会社を辞めて毎日、主人の秀樹を付け狙っていたようで、何度かのチャンスがあったようだけれど、最後に周囲に誰も居ないところを狙って、犯行に及んだとのことだった。
犯罪被害者給付制度により政府から少しもらえる様に教えられ、申請した。
いずれにしろ、亡くなった秀樹の慰謝料は微々たるもので、墓地を購入し、石碑を建てたのでいくらも残らなかった。
その後、新婚当時に将来のことを考えて入っていた生命保険が、支払い留保が解除されて、保険金の五千万が口座に振り込まれた。
亡くなってからは出来るだけ毎日行く様にしていた墓参が、月日が経つにつれ時々行けない時が出てきていた。
それは、ようやく良子もパートではあったが、近くの会社の事務員として働くようになっていたからだ。
秀樹が亡くなって三年が過ぎたある日、変な電話が良子の留守電に入っていた。
名前は名乗らなかったが、秀樹と良子を知っているかたからと思われた、ある県に行った時、秀樹に良く似た人が知らない女の人と居るのを見かけたとの電話だった
「そんなことが絶対考えられない」と思う良子だった。
でも、良く考えてみれば一つ気になることがあった、それが事故の時に着ていた服装が違っていたことである。
それからまた日が過ぎたある日、友人の敏子から電話があって、秀樹を見たとの話だった。
「びっくりせんといてね」
「私の感だけど、間違いないと思うは」
「でも世の中には似た人が三人いるというからね、見間違いかも知れんし」
良子から、彼が死んだ時の服装で疑問を持っていたのを聞いていたので、余計に敏子は、「はっ」と感じたのだった。
敏子が旅行である県に行った時、ホテルのフロントで秀樹に似た人を見かけ声を掛けようとしたが、間違っていてはいけないと思い、声を掛けなかったとのことだった。
独身時代から良子と親しくしていて、結婚後も家族間のお付き合いをしていたので、彼女は秀樹のことは良く知っていた。
だから敏子の言葉には、少し真実があるようにも思えた。
それから幾日かして両親に相談したところ、「良子が納得するな」と同行してくれることになった。
疑問と不安を払拭するため、両親と共に秀樹が勤めているであろうホテルに向かった。
良子は怖かった,「もし秀樹だったらどうしょう」、と言う反面と生きていてくれたと言う喜び、何故と言う猜疑心にさいなまれた。
そんな考えを胸のうちに膨らませながらまもなくホテルに着いた。
いたのであるフロントに、確かに秀樹に似ていたが少し痩せていた。
少し離れた所から眺めたが、なかなか訊ねる勇気がなく時が過ぎていった。
そして、父が支配人に密かに面会し彼のことを訊ねた、すると二年半ほど前から勤めており、名前は山口 俊樹と言う名で、奥さんもいて近くの借家に住んでいるとのことだった。
良子は勇気を振り絞り彼に問い質したかったが、怖くてしり込みしてしまった。
ただ父は、支配人の話のニュアンスから、ほぼ間違いないような印象を受けたようだった。
後は興信所を通じて調べようということになり、重い足を引きずりながら帰途に着いた。
「秀樹には妻がいたとしたら」、良子の頭の中をよからぬ思いが駆け巡った。
頭で分かっていても、生理的に受けいれにくかった。
考えてみれば、生命保険金がおりたその半分を、良子は秀樹の両親に渡し、せめてもの彼の親孝行としたが、それが偽りになるかもしれなかった。
いや、彼の親も知っていたかも知れないと思うと、憎悪の念が沸々と湧いてきた。
数日が過ぎ、興信所から連絡があり、結果を聞きに両親を伴って訪れた。
それによると、確かに秀樹だった。
それを裏付ける証拠として、借家に入居する時、身分証明書として自動車免許証を提示したらしく、そのコピーが不動産屋に残っていたのだった。
そして同居する女性は、秀樹の会社の経理にいた事務員の美佐子だった。
詳細が判るにつれ、良子を裏切った憎しみと、身代わり殺人であることがはっきりしてきて恐怖感で体が震えた。
では、亡くなられた人は誰だろうと思いながら興信所を後にした。
興信所には、秀樹と女性の身分だけ調べてもらっただけで、彼の以前の事故のことは知られていなかったので、良子と両親だけが真実を知ることとなった。
知った以上はほって置くわけにもいかず、それと言ってこれ以上追求しても、良子に朗報が入るわけでもなかった。
思いあぐねて月日が過ぎて忘れかけていた時、先に警察に捕まっていた畑山 武が訪ねて来た。
「こんにちは、奥さん初めまして、私は以前、秀樹さんが勤めておられた会社の同僚で畑山 武と申します」
「はい、何かご用ですか、主人は亡くなりましたが」
「奥さん、ご主人は生きておられますよ」
「えっ、どうしてですか」
良子は驚いて見せたが、畑山の話によると、会社で経理帳簿から使い込みがばれたので、畑山は秀樹に追及されたが、その時、秀樹の方からある提案がなされた。
それによると、畑山の使い込みをもみ消してあげるから、交通事故で秀樹が死んだようにして芝居を打つので協力して欲しいとのことだった。
その事故の計画を描いたのは秀樹であったが、畑山には詳細は知らされなかった。
秀樹は結婚前から仕事場の部下の美佐子とできていた。
美佐子には夫の孝雄がいたが、夫を裏切り不倫していたのだった。
秀樹は、たっての社長の紹介でもあり、また表向きのカムフラージュの気持ちもあって、断りきれず良子と結婚してしまったのだった。
しかし、美佐子に良子と結婚したことを責められ、過去を清算しようとして丁度その時、畑山の使い込みを知り、「渡りに船」と事故を計画したのだった。
計画では、交通事故を装うつもりだった。
それなら罪も軽く一年少しで刑期が終わるか、執行猶予で済むと予想していたのだったが、事故を起こした時、恐ろしくなって畑山が逃げてしまい、殺人がばれてしまったのだった。
畑山は別件容疑で捕まり、刑事の執拗な追求に会社での使い込みと偽装交通事故までは喋ったのだったが、秀樹の存在については口を滑らすことはなかった。
事故の件も加味され七年の懲役刑を受け三年半余りの刑務所生活を送り三日前に仮出所して来たところだった。
そして秀樹の奥さんである良子に、居所は知らないが秀樹は健在であることだけ伝えに来たのだった。
「畑山さん、ありがとうございました、でも彼のことはもう忘れましたので、そうっとしておいて下さい、お願いします」
普通は驚き、顔色を変えると予想していた畑山も良子の態度に違和感を覚えながら家を辞した。
それ以後、畑山の所在も判らなくなり、会社も告訴しなかったらしい。
生命保険金が出た今、良子に対する秀樹の謝罪以外はこれで何もかも終わったと思った。
しかし、あの時の死体は誰なのかそれだけが気がかりだったし、良子の想像では秀樹も畑山も知らないのではと思った。
偶然通りかかった人を車で衝突させ殺したと思われた。
2
日が西に傾くころ、良子はパート先から自転車で実家に帰ってきた。
畑山が訪れて来たのを最後に、誰も訪れることはなくなった。
だから、秀樹と住んだ借家から両親の説得を受け入れ、今は実家から通勤していた。
事実を知り心が揺れ増悪の念に燃えた時から、墓にも行っていないので、どうなっているか知れないけれど、今墓に眠っているのは、秀樹でなくて誰なのかとの疑念だけが深く残った。
そして事件から十五年が過ぎたころ、一通の封書が良子に届いたが、封書の裏に差出人の名前も住所も書いていなかった。
便箋には、当たり障りのない文章で、何を言いたいのかはっきりしなかったが、文面や筆跡から、秀樹からと思われた。
畑山が刑期を終え出所した以上、時効と言う考えは表面的には存在しないのだけれど、秀樹からすれば共犯者なので、時効を待っての手紙だったのかも知れなかった。
良子が会社で事務をしている所へ、偶然に商談で秀樹が勤めていた会社の社長が来られ、少しお話しをした。
その時、秀樹が事故にあった直後ぐらいに、事務員の美佐子のご主人が行方不明になり、それから半年経ったころに彼女が辞めてしまったとのことで、その後どうなったか心配しておられた。
良子はその話を聞いた瞬間、社長に気付かれることはなかったが、体が凍りついた。
仕事が終わると、夕食の材料を買うのも忘れひたすら実家に急いだ。
「ただ今、お母さんいる」
「お帰り、えらく今日は早いね」
「お母さん、お父さん聞いてよ」
「何かあったの」
そこで、今日の会社での、秀樹の勤めていた会社の社長の言葉を話すと、両親も、一時凍りついた。
そして良子の父が言った。
「えっ、そしたら、秀樹と美佐子と言う女が仕組んだ殺人で亡くなったのは美佐子のご主人だったのか」
「そう言うことになるは」
「だから今お墓に入っているのはたぶん美佐子のご主人の孝雄さんよ」
「私ははじめ秀樹とばっかり思い拝んできたけど、次に他人様だったと判かり、それが孝雄さんだったとはね」
でも一時は亭主だった秀樹の仕業と思えば、懺悔の一助になったかもしれなかった。
前世からの宿業が秀樹にこう言う行為に走らせたのか、ここまでやる秀樹と美佐子の悪知恵には驚愕したが、このままで良いのかと言う思いが、脳裏を過ぎった。
美佐子の夫であった孝雄の両親も心配しておられるだろうと言う思いがして、以前に秀樹が勤めていた会社の社長にお願いして美佐子の以前の住所や孝雄さんの勤め先を調べてもらった。
すると、孝雄さんが勤めていた会社が判り、休暇を取って訪ねてみることにした。
家から余り遠くなかったので自転車で行くことにした。
孝雄さんが勤めていた会社に訪ねてみると、そこは町工場で孝雄さんはそこでやはり経理事務をしていたのだった。
孝雄さんと美佐子はこの会社でお互い経理部にいて知り合い結婚したのだったが、結婚した以上は職場が同じでは悪いということで、美佐子は転職して秀樹のいる職場に行ったのが不幸の始まりとなったのか、それとも結婚そのものが不幸のもとだったのか。
だが結果的には、美佐子の性がこういう結果をもたらしたのだろう。
ある日から孝雄さんが急にいなくなり、いろいろ憶測を呼んだが別に不正も使い込みもなかったので、蒸発の理由が分からず終いになったままのようだった。
そして連絡していた奥さんともそれから半年後連絡が取れなくなり今に至っているとのことだった。
そして、孝雄さんの両親の住所を教えてもらい、その足で訪ねた。
ご両親は不意の訪問者に戸惑っておられたが、新聞のニュースで秀樹の事件のことは知っておられて、話はスムーズに進んだ。
十五年の月日が過ぎたが、孝雄さんの行方を案じておられ、ひとつ気になることを言っていた。
それは、息子さんの嫁の美佐子の行方であった。
孝雄さんが行方不明になって、半年が過ぎたころ急に美佐子がいなくなり、連絡もつかなくなったのが気に掛かるとのことだった。
良子は事実を知っていたが、知らせることを控えた。
このままで良いと思った、知らせたところで、ご子息は帰らないことを知っていたからである。
励ましの言葉をかけて、孝雄さんの家を後にした。
脳裏に浮かんでは消える、秀樹へのわだかまりや怨念を振り払いながら、家に向けて自転車のペダルを無意識に漕いでいた。
秀樹と美佐子の悪行を思うとき、人は目的のためには命まで奪うのか、でもそれは決して許されないことだ。
愛の前に知は盲目なのか、犯行は一人の犠牲者だったけれど、ひとつ間違えば、良子もいまここに居なかったかも知れないのだ。
そのことを考えれば、結果として、美佐子の冷徹さが死を招いたのか、秀樹の割る知恵がそうさせたのか、人生まで狂わして。
考えれば考えるほど深みにはまりそうなので、そこで考えるのを止めた。
しかし一つ分からぬ疑問が湧いた、それは、今はどこに行ったのか分からない畑山が、この事件をどこまで知っていたのかと言う疑問だった。
友人の敏子の情報から始まった事実への追求もほぼ全容把握できたが、それだからと言って、何一つ好転したものがなかった。
ただ事実を知りたいと言う、人の性だけが先走りしていた。
知らなければ幸せで済んだことが、知ることによってどれ程、マイナスに作用したことか。
3
その後、日々変わることなく、淡々と日を重ねていった。
良子は両親の介護に追われて、過ぎ去った日々を回顧する暇さえなくなっていた。
あれ以来出来れば遠ざけたいと思った敏子との友情も、今はそれほどでもなくなっていた。
時がそうさせたこともあるし、気付いてみればあれほど嫌だった、人との付き合いが、今は皆無に近く、人を懐かしく思うようになっている良子だった。
そんなある日、良子の前に土下座し許しを請う男性が居た。
還暦が間近に迫り、なんとなく間延びした顔や皮膚のたるみと白髪が目立つ髪の毛で、時の流れをつくづく感じざせる風貌だった。
人恋しさがそうさせたのか、それとも時の流れがそうさせたのか、昔を彷彿とさせる面影はなかったが、声だけはそのままであった。
それは今から三十数年前に良子から決別した秀樹だった。
「済まない本当に悪かった、許して下さい」
良子が許すわけがないと分かっていたが、一度謝りたかったのだった。
良子は一言も言わなかったけれど、秀樹は同居の美佐子が昨年に子宮ガンで亡くなったと話した。
しかし、良子にとって見れば、今頃そのような話は聞きたくもなかった。
そうそうに引き取ってもらうべく、促した。
名残惜しそうに秀樹は、良子の家を後にしたが、ふと玄関を見ると表札に辻本と守山が併記して書かれていた。
それが秀樹には嬉しいような、また何故と言う疑問が残った。
秀樹がそれからどこへ行ったかは定かでないが、美佐子が亡くなり、やっと良子の存在に気付いたのだろう。
でも本当は数十年の間、美佐子との幸せな日々を送れた秀樹の方が、周りから何時もびくびくしながら生きたかもしれないが、幸せだったかもしれないのだ。
それを思うと、良子の胸は熱くかきむしられた。
翌日は何もなかったように、良子は自転車に乗り会社に急いだ。
着くとまだ誰もいない室内の窓を開け、空気を入れ替えている時、電話が鳴った、警察からで、家に電話したがここに勤めていると母に聞き、電話してきたのだった。
それによると、秀樹が良子の家に来たあと、その足で地元の下中警察に自首したのだった。
そこで今までの自分がしてきた犯行の詳細を打ち分けたらしいのだが、警察もにわかに、彼の言動が信じられず元妻であった良子に事情を聴取したいとのことで電話が架かってきたのだった。
良子は勤務先の社長の了解を得て、時間をもらい早速自転車で警察署に向かった、そこに秀樹の姿が見当たらなかったが、三十年数年前の事故のことについて詳細に話しをしたらしかった。
今は時効となっているので何の咎めもなく、また警察のほうも、その事故の時点での指紋採取が困難だったので、決め手を欠いての捜査がこのような結果になったものと反省もしておられた。
秀樹を逮捕することも出来ず、事情聴取で終わったらしい。
警察から秀樹の発言を聞いて、それが自分が知っている事実に間違いなかったので良子は追認した。
後は秀樹の両親との再会や戸籍の復活をどうするかと言う問題と、美佐子の夫であった孝雄さんの死亡の手続きだったが、そちらの方は、聞いてみると、十年前に、高齢のこともあって、孝雄さんの兄弟が両親の承諾のもと失踪宣告を出したらしく片が付いていた。
その後、秀樹は、我が家に向かったが、さすがに足が重かった。
良子が何も話していないとのことだったので、両親もさぞ驚くことだろうと思いながら、我が家の玄関に立った。
チャイムを鳴らすと、白髪頭の自分が眼前にいる様な錯覚に囚われた。
秀樹の父であった。
「どなたさんですか」覗き込むように秀樹を見つめた。
「あっ、お前、秀樹」
「いや違う、あいつは三十年前に死んだのや」
「でもよう似とるな、どなたさんですか」
「お父さん秀樹です、ご免色々事情があって」
「お前、生きていたのか、なぜ」
久し振りの我が家には年老いた母と父が何とか元気で暮らしてくれていた。
秀樹にとってそれが幸か不幸か分からなかったが、とにかく生きているうちに会うことができて嬉しかった。
父と母に、すべての事情を打ち明けたが、ただ驚くばかりであった。
両親が言うには、時たま墓に行くと、初めの内は良子さんも来て綺麗にしてくれていたが、そのうち良子とも会わなくなって、墓も荒れたままになった。
何故なのかと疑問を持っていたが、今日その事情が飲みこめた。
「良子さんは、お前の生きていることや、事故の事情を全部知っていて、わしらを心配させないために、言わなかったのか」
そして母が一言、良子さんから保険金を貰ったことと、それを使わず置いてあるからそれでこの先、生きていくように言ってくれた。
ただ良子さんに申し訳ないと一言いった。
そして、最後にこの家から出て行くよう促された。
親にとって、それがせめてもの、孝雄さんへの償いと思ったからだった。
その後、秀樹が何処に消えたかは誰も知らない。
覚悟の帰郷であったが、事件は風化し自分で思っているほど世間の意識はない。
ただ、当初は悦楽が先んじていたことはたしかだったが、時が経つにつれ、事件への懺悔と自己への悔悟の日々が日増しに募り今日にいたったらしい。
そして、良子は相変わらず会社での事務と実家での両親の介護に忙しない日々の毎日だったが、他人の話では男の居候が、良子の家の別棟に住んでいるとの噂もある。
〈了〉